人生で大切なことはすべて「不思議のダンジョン」で教わった

こういうタイトルのものって沢山ありますよね。
私もふと、自分も同じように何か語るとしたら……と考えたときに、やはり一番最初に思い浮かんだのがこれです。
「不思議のダンジョン」について、拙文をしたためようと思います。
 

◆不思議のダンジョンとの出会い

 
時はスーパーファミコン全盛期だった小学生の頃。
 
当時の私はまだドラクエのプレイ経験もなく、モンスターだの呪文だの、細かい知識はありません。
それでもドラクエに対する憧れがありました。
小学生だった私にとって、ドラクエは「ちょっと難しそうな大人のゲーム」だったのです。
 
そんな中出会ったのが『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』でした。
パッケージにはトルネコやスライムの姿が。
知識の乏しい小学生でも、さすがにドラクエに関連したゲームであることは分かりました。
「ドラクエは難しそうだけど、これならできるかも」
そんな思いでやり始めたのを覚えています。
 
 

◆トルネコの大冒険とは

『トルネコの大冒険』は「不思議のダンジョン」シリーズとして発売された最初のゲームでした。
ローグをもとにしたローグライクゲームということですが、当時の私はよく分かっていませんでした。
 
簡単にストーリーを説明しましょう。
すごいお宝が眠っているという「不思議のダンジョン」を探してトルネコ一家が旅に出て、ついにそれを発見。
近くの村に店を構え、冒険に出る許可を王様から貰おうとするところからゲームが始まります。
 
『トルネコの大冒険』で最初に挑戦するダンジョンが「ちょっと不思議のダンジョン」です。
地下10階に落ちている「王様の宝石箱」を手に入れて戻って来られればクリアとなります。
 
 

◆想像以上に難しかった

パッケージのイラストはコミカルな感じですが、ゲームの難易度としては(少なくとも初めて触る小学生にとっては)なかなかに難しかったのです。
父や弟も挑戦するものの、誰も「王様の宝石箱」を見ることすらできません。
 
「ちょっと不思議のダンジョン」は入門編の一番やさしいダンジョンではあるのですが、ナナメ移動すら使いこなせていない私にとって、攻撃力の高い中盤のミイラ男が鬼門でした。
死んだら1階からやり直し。
レベルもHPも元に戻り、アイテムも失われます。
「せっかく強くなったのに……」
喪失感はすさまじいものでした。
 
 

◆でも、成長していた

何度も何度も挑戦することで、少しずつ変化がありました。
「こういう風に立ち回るとマズい」
「ここはこれを使った方がいい」
など、攻略の糸口が見えてきたのです。
 
 
たとえば薬草。
飲めばHPを回復できるものですが、ゴーストタイプの敵に投げるとダメージを与えることができます。
憎きミイラ男も一撃です。
 
「同じアイテムでも、いろいろな使い方があるんだな」
そう感じました。
 
アイテムの使い方、モンスターの特徴などなど、少しずつ覚えていきました。
たとえその冒険で倒れたとしても、次に活かせばよいのです。
 
 
100%完全な攻略法はありません。
でも、自分自身でより良い道を見つけることができます。
 
 
苦心の末、初めて「ちょっと不思議のダンジョン」をクリアした日。
父が「すごいな!」と褒めてくれました。
「こんなの、簡単だよ」と照れ隠ししていたのを覚えています。
 
 

◆その先で何が待っているか分からない

不思議のダンジョンは入る度に形が変わり、落ちているアイテムも罠の配置も変わってしまいます。
1000回遊べるRPGというキャッチコピーがありますが、1000回やったら1000通りの冒険が待っています。
 
もちろんその階層ごとに出てくるモンスターの種類は決まっているのですが、それ以外は全く分かりません。
とても順調だったのに、次の階層では敵に囲まれピンチになるかもしれない。
逆にとても危ない状況だったのに、たまたま拾ったアイテムで窮地を脱することもあるかもしれない。
人生万事塞翁が馬とはよく言ったものです。
 
その後、『風来のシレン』シリーズとも出会い、現在までハマり続けている『風来のシレン外伝 女剣士アスカ見参!』へと至ります。
では、「不思議のダンジョン」シリーズから教わったことを振り返ってみたいと思います。
 
 

◆何度失敗したって、最後に成功すれば勝ち

「不思議のダンジョン」シリーズは、基本的な操作方法は説明書に書いてあるものの、具体的なテクニックや攻略法などは書かれていません。
むしろ、公式ガイドブックとかに載っている内容ですら、実践的なテクニックかと言われると微妙です。
 
ではどうやってクリアするのか。
 
失敗から学ぶのです。
 
右も左も分からない中、あたふたしていればすぐにゲームオーバー。
でもそれを繰り返していくことで、だんだんと掴めてくるものがあります。
 
先の『トルネコ』の話でも出したように、自分の立ち回りを反省して次の冒険に活かすことができるのです。
そして、攻略法ではない、自分の力でクリアを勝ち取ったとき、言葉では表現しがたい達成感を得られます。
その時、過去の失敗の回数は問題ではありません。
 
人生も同じではないでしょうか。
天才と呼ばれる偉人たちは、生まれながらにして輝かしい実績を生み出すことができたでしょうか。
そうではないはずです。
何度も何度も何度も失敗を繰り返す中で、達成したのです。
 
天才を指差して、「あいつは過去にあんな失敗を何度も繰り返している!」と声高に叫ぶ人がいるでしょうか。
 
 

◆自分の選択が命運を分ける

「不思議のダンジョン」では、落ちている全てのアイテムを持っていくことはできません。
持ちきれないアイテムの中で、どれを持っていくかの選択が自分の未来を変えます。
 
その階層を巡回してアイテムを回収するか、それともすぐに階段を目指すのか、選択するのは自分です。
 
結局、その選択が良いか悪いかは後になってみなければ分からないでしょう。
でも、人生もそういうものだと思います。
 
どの学校に進学するのか、どの会社に就職するのか、どのように生きていくのか。
 
良し悪しは分かりません。
しかし、その結果は全て「自分の選択」によって得られたものなのです。
 
親が悪い、社会が悪い、政治が悪い。
他人の所為にすることなど、果たしてできるでしょうか。
 
 
 

◆勝つためには逃げることも大事

「不思議のダンジョン」で出会うモンスター全てに戦いを挑んでいたら、おそらくクリアすることは難しいでしょう。
私たちが戦うモンスターというのは恐ろしく強大で、手強い相手です。
時にはその場から逃げ、体勢を立て直すことも必要です。
 
結局それは、人生においても同じです。
与えられた環境の中で必死にやり抜くことも、もちろん大事です。
ですが、こんぼうと青銅甲の盾だけでゴーストハウスの中に突っ込んで行っても勝ち目はありません。
 
逃げることは負けではありません。
「その瞬間」だけしか見ていない人にとっては確かに負けです。
しかし、私たちは「その瞬間」のために生きているのでしょうか。
その先の未来で輝かしい自分を手に入れるために選択した「逃げ」は、勝利のためのスパイスにすぎません。
 
 

◆とは言っても、理不尽な死もある

攻略法を身に付け、アイテムを揃え、万全の体勢で臨んだところで、死ぬ時は死にます。
「盾の修正値めっちゃ上がったwwwかてえwwww」とか喜んでいても、
通路を歩いていて後ろから3倍速オオイカリメガタウロスが来たら余裕で死ねます。
 
まじで何が起こるか分かりません。
 
 
でも、それが楽しいんじゃないですか!
 
この先の人生に何が待っているかなんて、誰にも分からないんです。
だからこそ、そのスリリングな生き方を楽しんでしまえばいいのではないでしょうか。
 
前に進めば、時には傷つくこともあります。
でも、恐れていては前に進むことはできません。
 
 
 
 

◆さいごに

「不思議のダンジョン」と「人生」はこんなに沢山共通点があるんだということを熱弁してきましたが、1つだけ、違うこともお伝えしておかなければいけないと思います。
 
 
「人生」は死んだらおしまいです。
 
 
「何度失敗してもやり直せる」のは同じですが、
「何度死んでもやり直せる」のは不思議のダンジョンだけです。
(厳密に言えばゲームのキャラも死んでいるわけではないと思いますが……)
 
だからこそ、何度でも死ねる「不思議のダンジョン」で学び、己の生き方を見つけていくことが大切なのではないでしょうか。
私はこの先もずっと、「不思議のダンジョン」と歩んでいくのだろうと思います。
 
 

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